カネノナルキ満開中

だいぶ、Updateまで時間が開いてしまいました。12月の上旬からかなり色々あって、ようやく平常運転に近づいてきたので、「そうだ、Blogがあった」と思い出し、書き始めました。


この「カネノナルキ」ちゃんとした名称は「花月(かげつ)」と言います。大体生えて来て、10年前後くらいから花が咲くようになるらしく、我が家のベランダのこれは、12−3年後くらいから花が咲き始めて、毎年3月の上中旬くらいから咲き始めて4月過ぎまで咲いています。我が家のこの木は樹齢大体20年くらいで、前年の夏の暑さが花の数に物を言うようで、今年はいつになく花が多くなっています。ただ、面白いのは、この花の蕾って、12月くらい付け始めて3月に咲くという、なんとも息の長い開花になっています。


さて、「いろいろ」あったの部分ですが、始まりは12月上旬の病院からの呼び出しの電話から始まりました。父親が定例の月1通院の日で、いつも通りの感じだったのですが、容態が芳しくなくて、呼び出しの電話が入って、入院するか否かの判断をどうするかの医師から相談で、父親は「入院でもいいかなぁ」と話してはいたのですが、医師からは「入院すると正月も病院で、かつ死ぬまで寝たきりになる」と説明があって医療費も含めてさすがに厳しいので、父親本人も「寝たきり」と「正月病院」、「管と配線だらけ」は拒否になって、自宅療養になりました。で、ここからが、今までアイドリング状態だった私が、やや回転数高めになって、介護申請やら自宅介護やらで忙しい状態が続いて、正月明けの10日過ぎくらいから、ついに寝たきりになって、訪問看護、訪問介護、在宅医療と回転数がさらに高くなり、体全身の介護を24時間体制でやっていました。まぁ、この辺は、長男一人っ子なので、致し方ない部分なんですよね。そして、1月23日に97歳で逝ってしまったのですが、最後の2日間は48時間以上寝ずで回転数もややレッドゾーンになっていました。何せ、病態が癌で発症してから19年、痛みもほとんどなく過ごしてきたのが、最後の2日で痛みが出て、えらいことになっていました。ただ、そんな厳しい状況だったのですが、訪問看護の看護師さんからは、かなり信頼と信用をして頂き、精神的にはそんなには、厳しくはなかったですね。亡くなったのが訪問看護開始からおよそ10日だったのですが、薬の量や対応の振る舞いは、持ち上げもあったとは思うのですが「極上」「最高」と言われ、亡くなる当日は「何かあったら確認して下さい」と聴診器を置いていってくれました。実際、その瞬間は、私自身で、父親に聴診器をあて心拍を判断してから、訪問看護ステーションへ連絡して、医師がきて「ご臨終」となりました。まぁ、その後は一通りのお決まりのコースでことが進み、厄介だったのが、相続系と残留物の片付け(これは今もOn going)ですね。まぁ、今の時代、ゴミを捨てるのもお金がかかる時代ですから、出費が色々多いですね。まぁ、そんなこんなでしたが、2月には父方の従姉が父の死から20日後に亡くなり、こちらもこちらで、ショッキングでした。父の死の連絡をした時は、ものすごく元気で普通以上だったんですよね。父方の従兄妹組合で、私はバッチ(末っ子)で、母方の従兄妹組合で筆頭なので、なんとも変な因果です。おまけに父方の従兄妹組合は、私以外には男子1名なので、何かとしんどいのです。

ただ、そんな私的動乱の中でしたが、前述した訪問看護の所長看護師さんへ亡くなったあとの代金支払いと挨拶へ行った際に、渦中の時の件について2つ質問をして、それが、最大の安堵とご褒美でした。

私:所長さんに2つ確認したいことがあります。1つは聴診器を預けた日は、もう危ない
    と予測していましたか?そして、聴診器を預けた理由は?
看:逝ってしまうのは、その日の夜遅くか、朝方かなぁとは想定していました。ただ、夕
    方だったのは、想定外で早かったなぁと感じました。で、聴診器をお渡ししたのは、
    短い期間でしたが、薬のコントールや介護にまったく事件性も問題も無くて、あなた
    なら、冷静沈着で、そうなった時でも間違いなく的確適正に実行出来ると見えたから
    です。そして、何より、普通の素人とは思えない医療的な知識、行動、対応が出来て
    いたからです。だけど、医療系の方では無いんですよね。
私:ありがとうございます。
看:そして、なにより言えることは、麻薬の投与に関して、医師並の会話と判断が出来
    て、お父様が苦しまずに過ごせたことが最大の部分ですよ。普通の方だと、痛みで苦
    しんで暴れてる方へ投薬することすら難しいのに、当たり前のごとくの対応と投薬が
    出来たのは、きっと亡くなった時も当たり前に対応出来るはずと見えましたよ。
私:ありがとうございます。だけど、皆さん、それを普通にされるんじゃないですか?
看:ないない。普段、何もない時に普通にきちんとこなしている方でも、いざ苦しんだり
    していると、固まって何も出来なくなる方が大多数というか、まず全部です。在宅看
    取りと言いつつも、結局は救急車を呼んで病院へ運んで看取るということになりま
    す。なので、今回はお父様の意思の通り、自宅で看取れたのは、当たり前のようで、
    もの凄いことなんですよ。逝く側は確かに辛いですけど、逝かれる側は精神的に極限
    までいくんですけど、あなたは、そこを1人ですべて平然と1つのミス無くこなされた
    のは、普通の人ではもの凄いことなんですよ。
私:ありがとうございました💧💧(54年以上生きてきて初めて褒められて涙が出た)
この会話で、短い期間の精神的重圧から開放された感がありました。

どうも、我が家は新しい時代を迎えることの出来ない家族のようで、母が亡くなったのが2000年で、21世紀を迎えられず、今回の父の場合は、平成の次の時代を迎えられませんでした。となると私も、次の元号がその次に変わる少し前ということが、なんなく予測されてしまいます。今年で55歳なので、次の元号が仮りに30年としたら、耐用年数も過ぎて余力が丁度切れる頃かなぁと1人で想定します。

Blogはボチボチ進めていこうと思いますので、今後もよろしくお願いしますね。

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